1885年 |
>> Bahrs公とその家族によって、セラミック・タイルの製造会社として、ストックホルムの北、ウプサラのエケビー村にて操業。
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1897年 |
>> ストックホルムの展示会を契機に、本格的にアートポッテリーの製作に力を注ぐようになり、同社の主力産業へと発展してゆく。 |
1917年 |
>> Simon
Gate やオレフォス・グラスワークのEdward Hald、「スウェーデン・アートポッテリーの父」と称されるグスタブスバーグのWilhelm
Kage らが世に知られるきっかけとなり、北欧のデコラーティブ・モダンアートの起点として知られる、ストックホルムの"Liljeualchs
Public art gallery"にて開催された展示会では、タイル工芸で飾られたストーブの出展にとどまるが、その後の1930年のストックホルム展示会の頃には、その実力を徐々に現してくる。 |
1933年 |
>> Annna-Lisa
Thomson 参加。 |
1935年 |
>> Sven
Erick Skawledse が総括アートディレクターに就任。 |
1942年 |
>> オレフォス・グラスウォークより、総括アートディレクターとしてVicke
Lindstrand が招かれる。 |
1944年 |
>> Inglid
Atterberg 参加 |
1949年 |
>> ロシア人デザイナー、Mari
Simmulson 参加。 |
1950年 |
>> Hjardis
Oldfors インターンとして参加。 |
1952年 |
>> Anna-Lisa
Thomson の他界をうけOldfors正式採用。 |
1953年 |
>> Inglid
Atterberg が作品を発表し始める。 |
1953年 |
>> Kosta
グラスウォークより Sven Erick Skawledse が総括アートディレクターとして再び招かれる。 |
1954年 |
>> ミラノトリエンナーレにて、Atterberg
のエントリーした作品がゴールドメダルを受賞。同社の最盛期を迎える。 |
1972年 |
>> アート・ポッテリー製作としての実質的な活動は終わりを迎える。 |